「アンという名の少女」を観て、生きづらさについて考える

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以前にもブログに書きましたが、私は、L.M.モンゴメリの作品が大好きです。

「赤毛のアン」はもちろんのことですが、新解釈の「アンという名の少女」にもハマっています。

今までのアンとは違う視点と現代でも問題とされている、差別や生きづらさについても描かれていて、生きてく上で感じる、ヒリヒリするような気持ちや痛々しさが生々しく伝わってきます。

私自身、慣れない人とのコミュニケーションが苦手で、いつももっと器用に生きていけたらと思っています。

でも、みんなでワイワイするよりも、一人でじっくり考え事をする方が好きだし、絵を描いたり、本を読んだり、文章を書いていることの方がとても好きです。そっと猫のそばにいるだけというのも幸せを感じます。家族や慣れ親しんだ人との会話ははずむけれど、なかなか人に心を開けない自分がいます。

アンと同じように、心を開いて話をしてみても、どことなく浮いてしまうことが多く、私をよく知らない人は、ちょっと変わってるなこの人って感じになってしまい、その度に傷ついたり、ストレスを抱えることを避けたくて、自然と人を避けてしまうんだと思います。頭の回転が遅いので、言葉を選ぶのに時間がかかってしまったり、やっと出た言葉も浮いてしまうことが多いので、コミュニケーションをとるときは、変に思われないよう、気を遣って話を合わせるようと、会話を楽しむ余地はなく、ただどっと疲れてしまうのです。

ちょうど、「アンという名の少女」で、アンがバーリーおばさん主催のパーティに参加するので、人前に出て行くと浮いてしまって失敗してしまうとと、バーリーおばさんに相談をしている場面があり、ドラマではあるけど、私と同じ悩みを抱えている人がいるんだと、自分だけではないのだと、安心感を感じました。

私自身生きづらい思いをしているので、この日本では、LGBTの方々はもっと生きづらい思いや大変な思いをしているんだと思います。その中でも勇気を持って、自分の意見を社会にぶつけている人を見ると本当に素晴らしいなと尊敬の念を抱きます。

人種差別については、自分自身は、人種について意識する環境で育っていないので、人種差別をすることはもちろんありませんし、されたりという経験はありません。(これまでの海外旅行でもありませんでした。)

ただ、これから行ってみたらスコットランドなどのヨーロッパの世界では、私はアジア人なので、差別を受ける側です。差別をされるかもと想像すると恐ろしいですが、でも、やりたいことを諦めたくないので、心の準備だけはして、前向きに考えようと思っています。

人の生まれつき直せない部分を指摘して決めつけたり、責めたりする人間には嫌悪を感じます。ありのままの自分を押し殺して生きて行くのは辛いものです。みんなが生まれたありのままの自分で生きていけるように、選挙に行くときはそのことを意識してよく考えて投票するなど、微力ながらみんなが生きやすい世界を目指していけたらと思います。

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